つくしとふくとネコの母

保護猫の里親が書く日記

心配しなくなったことが寂しい


ちょっと理解してもらえないかも知れませんが、TNRしたさくら猫のすずめちゃんを看取ってから、一か月以上経ってもいまだにペットロス状態です。

 

家の中に居たわけでもなく、ご飯を食べにきて、食べ終わると触れ合うこともなくすぐに背中を向けて去っていったすずめちゃん。

 

触れ合うこともなく、ただご飯を食べる姿を見たり、家の周りで昼寝している姿を見ているだけだったのに、こんなに寂しいなんて自分でも驚きます。

 

きっとこの寂しさは、4年半の間、毎日毎日すずめのことを心配していたからだと思います。

 

車にひかれていないだろうか。

変な人にいじめられていないだろうか。

妙なものを食べていないだろうか。

他の猫とケンカしていないだろうか。

他の家で人間の食べ物をもらっていないだろうか。

ケガしていないだろうか。

病気になっていないだろうか。

ノミやダニで痒いだろうに・・。

暑くて熱中症になっていないだろうか。

寒くて凍えていないだろうか。

風邪ひいていないだろうか。

雨がやまなくてご飯食べに来れない・・。

お腹空いていないだろうか。

今日は来ないけどどこにいるのだろうか。

猫捕りにさらわれていないだろうか。

猫嫌いの人に虐待されていないだろうか。

食欲が落ちてるけどどこか悪いのだろうか。

水をあまり飲まないけど大丈夫だろうか。

横になってる姿ばかり見るけど大丈夫だろうか。

しばらく姿を見せないけど何かあったのだろうか。

 

書き出したらキリがないですが、4年半の間、一日たりともすずめのことを考えない日はありませんでした。

 

いつもいつも、すずめのことが心配で心配で仕方なかった。

 

だから動けないほど衰弱した状態で見つけて保護したときから、最期を看取るまでの3週間はとても濃密な時間でツラい時間でもありましたが、この腕の中にすずめがいるという安心感に包まれた時間だったのです。

 

食欲が落ちていると感じ始めたのは2022年の夏。

 

あまりご飯を食べないだけではなく、家の周りで静かに横になっている姿を見かけるようになったときに具合が悪いのではないかと心配になった。

 

それでも触ろうとすると逃げてしまうので、無理に捕まえようとして失敗するのが怖かった。もしも失敗すれば、二度と姿を見せてくれないかも知れないから。

 

亡くなるまでの3週間は、すずめとはじめて出会ってからの5年間を一気に塗り替えるほどの濃い時間でした。

 

日に日に小さくなり、日に日に弱っていく姿を見るのはとてもツラかったけれど、その姿を私に見せてくれた。威嚇したり、抵抗することもなく、撫でれば弱弱しいけれどゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。抱き上げると顔をじっと見つめてくれた。微かに鳴いて、して欲しいことを要求してくれた。

 

最期の瞬間を私に見守らせてくれた。私の腕の中で息を引き取ってくれた。

 

ありがとう、すずめ。

 

もうすずめの心配をしなくていいんだよね。

この頃、急に寒くなってきたけど、もう外猫ハウスにカイロや湯たんぽを運ぶこともしなくていいんだよね。

 

沢山余ってしまった使い捨てカイロは、お母さんが手を温めるのに使わせてもらうね。

 

心配しなくても済む日々が、こんなに寂しいなんて。

すずめ、ほんとに寂しいよ。

今日もまた、すずめの姿が窓の外に見えた気がして、カーテンを開けてしまった。

いるはずのないすずめの姿が、なぜだか見えるような気がするんだ。

 

すずめに会いたいな。